朝、町の空気はまだ夜の冷たさを少しだけ含んでいた。
商店街のアーケードには、開店準備の音が控えめに響く。
段ボールの擦れる音、スチールシャッターがゆっくり持ち上がる音、
パン屋の奥から漂う香ばしい匂いが、通りを満たす。
信号待ちをしている小学生の列。
横断旗を握る老人が、ゆっくりと車の流れを止める。
その脇を、自転車に乗った配達員がすり抜けていく。
この町ではよく見かける朝の風景――しかし、少しだけ何かが違っていた。
微細な違和感
赤信号の間隔が妙に長く感じられる。
そのせいか、車列のドライバーは落ち着かない様子でハンドルを叩いている。
商店街の一角では、数週間前まで営業していた文具店が静かにシャッターを下ろしたまま。
立ち話をしている二人の高齢者は、同じ話題を何度も繰り返している。
それらは、新聞の見出しになることも、SNSで拡散されることもない。
けれども確かに、この町の時間や空気をわずかに変えている。
こうした違和感に気づく人は少なくない。
だが、その多くは数分後には忘れられ、日常の流れに飲み込まれてしまう。
理由を探る前に、次の予定や仕事がその場所を押しのける。
問いは芽吹く前に、土の表面で乾いてしまうのだ。
観察という最初の手つき
もし、この小さな違和感をすくい上げることができたなら?
たとえ答えがまだ見えなくても、その存在を認め、そっと置いておける場所があったなら?
それが未来の選択肢を広げる一歩になる――そう信じる人たちがいる。
FELIXは、そうした問いを守るための物語として始まった。
最初に必要なのは、答えでも計画でもなく、観察である。
観察は、目を凝らすだけではない。
声のトーン、歩く速度、空気の温度、匂いの変化――五感を通して町と向き合う。
そうして初めて、表面には見えない“問いの芽”が姿を現す。
問いの芽
この朝、観察者のノートに書き留められたのは、三つの芽だった。
- 「信号の間隔は、町の人々の動きと合っているのか?」
- 「商店街の空き店舗は、何を失わせ、何を変えようとしているのか?」
- 「高齢者の会話の繰り返しは、何を映しているのか?」
どれもすぐに答えられるものではない。
しかし、この芽を失わずに置いておくことができれば、
やがて別の芽とつながり、より大きな枝や葉を育てる可能性がある。
伏線としての芽
これらの問いは、今は静かに眠っている。
けれども後の章で、この芽は器に置かれ、WINEの道具で形を与えられ、
他の人々の問いと交わることで姿を変えていく。
信号の間隔は交通や安全の議論につながり、
商店街の空き店舗は地域経済や交流の話題と結びつき、
高齢者の会話は福祉や世代間交流のテーマへと枝を伸ばすだろう。
この第一章は、その未来の物語のための伏線を静かに埋め込む章である。
観察者の決意
日が少し高くなり、通りの人通りが増えてきた。
観察者はノートを閉じる前に、小さく一行だけ書き足した。
「問いを置く場所が必要だ」
それは決意であり、宣言だった。
この場所がなければ、問いは流れ去り、もう二度と戻ってこないかもしれない。
やがてこの決意が、「FELIXという器」という具体的な形をとることになる。
次の章では、その器の姿が明らかになり、問いの芽を守るための五つの柱が立ち上がる。