夏の暑さが日ごとに強さを増していた。羽束えつこにとって、学校のプール授業はまだまだ試練の時間だった。前回の授業で水辺に座ることができたとはいえ、水そのものへの恐怖感は完全に消えていなかった。
そんな中でも、えつこは毎日羽束川の川辺を訪れ、自分の心の中の恐怖とじっくり向き合っていた。川辺で過ごす静かな時間が彼女を少しずつ勇気づけてくれていた。
その日もプールの授業がやってきた。えつこは緊張しながらプールサイドに立っていた。夏の日差しは容赦なく照りつけ、プールの水面は眩しく輝いていた。心臓の鼓動が速くなり、冷たい水への恐怖が胸を締め付ける。
「えつこさん、今日は一歩進んでみようか」
担任の先生が優しく微笑んで近づいてきた。その微笑みに背中を押されるように、えつこはゆっくりとプールサイドの端に腰掛けた。足先が冷たい水に触れた瞬間、彼女の身体は一瞬こわばったが、先生がすぐ横で励ましてくれることに心強さを感じた。
「大丈夫、そのままゆっくり足を水に入れてみて」
先生の穏やかな言葉に導かれ、えつこは慎重に足を水中へと浸した。水の冷たさは変わらなかったが、不思議なことに、前回ほどの恐怖は感じなかった。次第に、えつこの緊張は和らぎ、水の中に足をつけていることに慣れ始めた。
次の授業ではさらに一歩進んだ。先生はえつこをプールの浅い場所に誘い、立ったまま胸元まで水に浸かるように促した。えつこは最初ためらったが、周りの友人たちが笑顔で遊んでいる姿を見て、少しずつ勇気を出した。
水がゆっくりと胸元まで上がってくると、一瞬息が詰まりそうになったが、先生の励ましの声が聞こえたことで再び落ち着きを取り戻した。やがて彼女は、自分が恐れていたほど水が怖いものではないことに気づき始めた。その瞬間、小さな成功の喜びが胸の奥から湧き上がった。
その日の帰り道、えつこはいつものように羽束川の川辺に立ち寄った。穏やかな川の流れは、いつものように優しく彼女を迎えた。えつこは川のほとりにしゃがみ込み、指先をそっと水に触れさせながら微笑んだ。
「今日、ちょっとだけ進めたよ」
彼女は小声で川に向かって囁いた。自分自身にとっては小さな一歩かもしれないが、それは確かに前進だった。その小さな成功体験は、えつこにとって貴重なものであり、彼女の胸の中で確実に自信の種となって芽生え始めていた。
夕日が川面に映り、穏やかな光が辺りを包み込む。えつこはその光景を見つめながら、自分が抱えていた恐怖がゆっくりと薄らいでいくのを感じていた。この日から彼女は、少しずつ、でも確実に水と友達になっていく道を歩み始めていた。