第三者機関による詳細な地質調査と環境影響評価が始まってから、日光の山々はすっかり深い秋の色に染まっていた。日々刻々と変化する紅葉の鮮やかな景色とは対照的に、細尾電力の社内は張り詰めた空気のまま動きを止めていた。
勝道は毎日のように現場へと足を運び、第三者調査チームの活動をサポートしながら、その経過を注意深く見守っていた。地盤の状況が悪化することなく、ある程度安定していることを願う気持ちと、調査が何か致命的な問題を発見するかもしれないという不安とが入り混じり、彼の心は落ち着かなかった。
調査が進む中で、社内ではさまざまな意見が飛び交い続けていた。現場スタッフや神崎は、安全性を第一に考え、状況によってはプロジェクトを完全に中止すべきだという意見を崩していなかった。一方で島田をはじめとする経営層は、投資額や地域経済への影響を重視し、多少のリスクを負ってでも工事を進める必要があると繰り返し主張していた。
ある日、調査チームが中間報告を行うことになった。勝道も主任の山本とともに参加したその報告会で、第三者機関の地質専門家・吉村は冷静な口調で報告した。
「現状で確認された脆弱地盤は深刻ではありますが、克服不可能なレベルではありません。近年開発された新しい地盤改良技術や地下水制御工法を組み合わせれば、地盤沈下のリスクを大幅に軽減できる可能性があります。」
その報告を聞いた瞬間、会議室内はざわついた。
山本主任がすぐに質問を投げかけた。
「具体的に、どのような工法ですか?実際の導入事例やその効果について、詳しく教えてください。」
吉村は頷き、資料を見せながら説明を続けた。
「例えば、地中に特殊な薬液を注入し、地盤の土壌粒子同士を化学的に固める薬液注入工法です。これは従来より効果が高く、環境への影響も少ないとされています。また、地下水の流動をモニタリングしながら制御する最新のシステムを導入すれば、地盤沈下を起こす主な原因を未然に防ぐことが可能です。」
吉村の言葉を聞きながら、勝道の心に小さな希望の光が差し込んだ。同時に、現場の技術者や協力会社のスタッフからは、前向きな意見と懸念の声が入り混じって上がり始めた。
現場責任者の神崎は、腕を組みながら慎重に発言した。
「理論的には可能かもしれませんが、実際の現場でそれが本当に機能するのか、保証はあるんですか?」
吉村は静かに答えた。
「もちろん、完全な保証はありません。ただ、この技術は既に日本国内外の複数の地域で実績があり、成功例も多く報告されています。重要なのは正確な地盤評価と計画的な施工管理です。」
島田はその意見を歓迎するように口を開いた。
「これは朗報ですね。新技術で対応できるならば、我々としてもプロジェクトを前進させる道筋が見えます。ぜひその工法の詳細な検討を進めましょう。」
しかし、その発言に神崎は静かに反論した。
「技術があるからといって、安易に楽観視するのは危険です。コストや工期への影響は必ず出るはず。その問題を考えずに進めるのは無責任でしょう。」
再び対立する意見に、会議は緊張感を増した。その中で山本主任は慎重に、だが明確に方向性を示した。
「分かりました。新技術の可能性を追求する方向で、さらに詳しい調査と検討を進めます。ただし、地域住民への説明や、環境面、経済面での影響評価も忘れてはなりません。」
勝道は主任の決断を聞きながら、この場に立ち会った技術者としての自分の使命を改めて感じていた。技術の力を信じたいという気持ちと、それを地域社会や自然とどう調和させていくべきかという責任感が、彼の胸の中でせめぎ合った。
宿舎へ戻った後、勝道は改めて稲葉教授の資料を広げた。赤沢浪平が取り組む天然ガス採掘プロジェクトでも、似たような新技術導入の例が詳しく記されていた。
「新技術の導入は、地域と技術者の間に新たな対話を生み出します。そこには不安やリスクもありますが、だからこそ誠実な説明と透明性の確保が不可欠です。」
赤沢のこの言葉が、勝道にはまるで自分に向けられたメッセージのように響いた。
窓の外には静かな夜空が広がり、星々が穏やかにまたたいている。
勝道はその星空をじっと見つめながら、自分が進むべき道を再び胸の中で確認した。
技術の力を信じて前に進むこと、それ自体は間違いではない。しかし、そのために必要なものは技術力だけではない。地域社会や自然への深い敬意と責任感、そして真摯な対話と説明こそが、プロジェクトを成功に導くための絶対条件なのだと。
(新しい可能性を見つけ出し、そしてその可能性を現実のものにしていく。その道のりは決して簡単ではないが、それをやり遂げるのが自分たち技術者の役割だ。)
勝道は決意を胸に秘め、その静かな覚悟を星空の下で噛みしめていた。